IE9ピン留め


畑はぐちゃぐちゃ(1月28日、29日)
 からからに乾いた畑に、ようやく雨や雪が降って落ち着いた状態になりました。しかし、異常に寒いこの冬の天候で、こんどは畑が凍りついたり、霜柱が立ったりで、日中はぐちゃぐちゃで畑に入ることも容易ではありません。加えて山際の日当りの悪い場所は凍土状態で鍬もスコップもはじき返されてしまいます。
 こんな時こそと、菜園住宅の障子の張り替えや物置の整理等に時間をさきました。
 収穫できる野菜も次第に減ってきて、畑も緑がなくなってきました。春を待ちわびています。

<今回の主な農作業等>
☆ はくさい、キャベツ、ダイコン、小松菜、ネギ、エシャレット等収穫
 〜ダイコンは畑に埋め込んでおいたものです。残りは辛味ダイコンだけになってしまいました。
 〜厳しい寒さで、ハクサイは芯まで凍っています。
☆ 空いている畑の天地返しなど
# by sm-116 | 2012-01-31 11:44 | 菜園だより | Trackback | Comments(0)

「首輪をはずすとき」を読む
著者  丸山健二(作家)
出版  駿河台出版(2011年9月 初版第1刷)

 第1部「震災を読み解く」は、最近出版した3冊の本に関しての講演記録であるが、大震災・原発事故をふまえての内容になってくる。そのなかで、日本人に最も顕著に欠落しているものは自主の精神であるとし、この国の人びとはいつまで「はいはい」と言っていれば気が済むのかと訴えかける。
 第2部「首輪をはずすとき」は、被災地(仙台市〜女川町)を訪ね、現地から直接発信するレポートという形で東日本大震災、原発事故についての考えを深めていく。そして、今こそ「首輪をはずすとき」だと訴えかける。
 「万難を排して、自らの手ではめたこの首輪をはずすときが訪れたのです。そのためには、精神の自立が必要不可欠です。また、頑健屈強な魂が求められるでしょう。…
 国家が押しつけてくるくびきをはずし、社会が強いる枷をはずし、そして事大主義のせいで自分から求めた首輪をはずさなければ、こうしたたぐいの悲劇は依然として連続性を見えたままでしょう。」
# by sm-116 | 2012-01-30 20:35 | 読書 | Trackback | Comments(0)

「神様 2011」を読む
著者  川上弘美(作家)
出版  講談社(2011年9月 第1刷)

 著者は1993年に「神様」という短編を世に送り出している。メルヘンチックな大人の童話とでも言ったらいいのだろうか。熊の神様と「私」との交感である。本書にもそれが収められている。
 そして、2011年あの忌まわしい原発事故を受けて、あらたに書かれたのが「神様 2011」である。あとがきで著者は言う。
 「原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりもむしろ、日常の続いてゆく、けれどもその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ、という大きな驚きの気持をこめて書きました。」と。そして静かな怒り、その怒りは最終的に自分自身に向かってくるなか、それでもたんたんと日常を生きてゆこうとする。
 静かな怒りで原発事故の深刻さを訴えかける。
# by sm-116 | 2012-01-30 20:17 | 読書 | Trackback | Comments(0)

大山街道を歩く、その7(1月25日)

 今回は、田園都市線江田駅からつくし野駅まで歩く。歩数約12000歩。
 江田駅周辺の国道246号線。上を東名高速道が走っている。
 この辺りは開発によって本来の大山街道は失われている。市ケ尾駅の手前で本来の大山街道に。


 市ケ尾竹下地蔵堂である。
 本尊は延命地蔵尊(木造、酉年開帳)。江戸中期頃の建立。毎年11月30日には念仏行「お十夜」(横浜市無形文化財)も行われているという。統誉上人即身仏の伝承がある。


 地蔵堂からは坂道を下る。猿田坂である。猿は「去る」にに通じるとして、嫁入り行列はこの坂の通行を避けたという。
 この辺り、かつての大山街道の姿をとどめている。


 猿田坂を降りきって日野往還道と交差する所に旅籠「綿屋」がある。
 この建物は明治15年頃の建築で、2階が客室として使われていたという。明治末まで営業されており、近くには他にも2軒の旅籠があったという。

 鶴見川を川間橋で渡る。かつてここで橋を渡るのに3文の橋銭が必要だったことから三文橋とも言われていたとのこと。
 大難の辻を過ぎるとまた山坂にさしかかる。やや登った所にあるのが一理榎。一里ごとに置かれた道標で、樹齢600年という。1970年代の区画整理で現在地に移されたとのこと。

 一理榎からさらに登ったところに医薬神社がある。
 医王山薬王院東光寺(真言宗0が明治初年に改宗した。境内には、医科大学への合格祈願絵馬が納められている。


 医薬神社の境内にある双対道祖神等の石像物が冬の陽を浴びていた。これらは、区画整理後に近在から移設されたものだという。

 斜め向かいの高台に見上げるような形で墓地がある。区画整理、開発で墓地だけがそのまま山の頂上に残されたという風情で異様な感じがする。

 再勝(さいかち)橋である。246号線はこの下を通っている。この橋の辺りも急な坂で「さいかち坂」と呼ばれている。かつての大山街道は山坂の連続、曲がりくねっているがだが、現246号線は山を削り、谷を埋めて平らな直線道路となっているのが対照的に見られるポイントでもある。

 再勝橋から田奈(恩田)へ。今は廃寺となっている寿光寺の墓地に出る。
 この墓地はいかにも歴史を感じさせる。ここにある2基の供養塔、元亀4年(1573)銘があり、恩田郷に居住した後北条氏所縁の武士・糟谷清印が父母の供養に建立したものだ。

 長津田片町から246号線を離れ長津田駅方向に入る。今は246号の脇道になっている。上をJR横浜線が走っている。
 長津田宿である。江戸時代初期から宿駅に指定され、江戸からの行程は9里。新編武蔵風土記槁は「家数160軒、多くは道の左右に軒をつらね其余所々に散住」とある。

 いよいよ長津田宿の入り口である。片町地蔵堂が、近年の道路拡幅工事にともなって整備されている。
 下宿に入る。ほどなくして、左側に下宿石像物群が見えてくる。
 案内標示には「この古碑群は、古くは元禄(1690年代)より地域の信仰の場として庚申塔・道祖神・大山講・地神尊等を崇拝し、天下太平・五穀豊穣・家内安全を願い、祈り代々引き継がれて今日に至っている。」と記載されている。
 散在していたものを昭和9年に1ヶ所にまとめ、さらに3年前の道路改修により現在地に移し、整備したものである。
 右側の常夜灯は下宿常夜灯で、文化14年(1817)の建立。宿中の大山講中によって建てられた。高さは210センチ。

 下宿の辺りは近年の道路拡幅により一新され、旧宿場町の面影はない。上宿に入ると、昭和期の面影が残っている。
 上宿のはずれ、大石神社の入り口に上宿の常夜灯を見ることができる。天保14年(1843)、宿中の秋葉山講中によって建立されたもの。高さは240センチある。

 大石神社である。祭神・大石神、新明伸、稲荷神で長津田総鎮守。有平業平が大石に化身し祀られたなど種々の伝説が伝わっているという。
 この神社の下を日頃車で通っているが、春には桜が美しい。

 大山街道は、主役の位置を国道246号線や東名高速度道路に移しているが、元の場所から別に整備されたりしながらも生活道路としては今も健在である。
 そんな中、大石神社から森村学園に抜ける辺りだけは開発・整備に取り残され、江戸時代の大山街道はかくやと思わせるままに残っている。


 今回歩いた地域は、江戸時代で言えば荏田村、市ケ尾村、上谷本村、恩田村、長津田村である。
 1960年代からの区画整理事業、開発によってもともとの風景は想像することもできないくらい開発され尽くしている。大地を、自然をこのようにけずりとり、コンクリートづけにすることが本当に人間の暮らしや生にとっていいことなのか、こうしたことの先に原発も有るのでは等考えさせられながらのウォークであった。
# by sm-116 | 2012-01-25 21:32 | 旅行or小さな旅 | Trackback | Comments(0)

「オオカミの護符」を読む
著者  小倉美恵子(ささらプロダクション、プロデューサー)
出版  新潮社(2011年12月)

 「50世帯の村から7000世帯が住む街へと変貌を遂げた、川崎市宮前区土橋。長年農業を営んできた著者の実家の古い土蔵で、護符がなにやら語りかけてくる。護符への素朴な興味は、謎を解く旅となり、いつしかそれは関東甲信の山々へー。
 都会の中に今もひっそりと息づく、山岳信仰の神秘の世界に触れる一冊。」(帯のことばから)
 人が自然に働きかけ自然を克服して作りだした現代社会、人が自然に働きかけながらも自然とともに作ってきた伝統的な生活の対比が浮かび上がって来て、私たちがどういう社会を作ったらよいのか方向を示してくれているのかな等思いながら読む。
# by sm-116 | 2012-01-23 10:44 | 読書 | Trackback | Comments(0)

一雨欲しいと思っていたら(1月17日〜19日)
 もう40日近く雨が降っていません。畑はからからに乾燥していて、冬越し野菜もさすがに元気がありません。一雨欲しいと思っていたら、ようやく今朝方から雪や雨が降り始めました。菜園の方は雪か雨か分かりませんが、ホッとしています。

 冬は収穫物が減って来ますが、何とか青い葉ものをと思い、ホウレンソウと小松菜をビニールのトンネル仕立で育てています。例年だとけっこうよくできて重宝しているのですが、今年は成育がよくありません。寒さが例年より厳しいためか、それとも晴天続きのためでしょうか。

 畑の残滓を整理したり、枯れ草等焼却したりしながら春への備えを始めています。寒ざらしのための天地返しもにも手を付け始めました。

<今回の主な農作業等>
☆ ダイコン、サトイモ、キャベツ、ハクサイ、小松菜、エシャレット、ニンジン等収穫
 〜サトイモは畝ごと霜よけをしておいたものを掘り上げました。
 〜ダイコンも穴に埋けておいたものを掘り出しました。また、畑に残っていた辛味ダイコンを全部引き抜いて穴を掘り埋け込みました。
 〜ニンジンは収穫完了です。
☆ 天地返し等
# by sm-116 | 2012-01-20 14:24 | 菜園だより | Trackback | Comments(0)

大山街道を歩く、その6(1月15日)
 今回は都内に戻って、三軒茶屋から用賀まで大山街道の旧道を歩く。
 新編武蔵風土記槁馬引沢の條に「村内に二條の道通ぜり、共に相州道なり、その一道は村の北三宿池澤境より入り、西南の方世田谷村に達す、この道多摩郡大蔵村への直道なれば大蔵道とも呼べり、一道は同じ道の内太子堂前の境小名三軒茶屋にて分れ、西南の方世田谷村の枝郷新町に達す、この道は二子の渡しへかかりたれば二子道とも唱へり」と記載されている。その「大蔵道」を歩く。
 写真は三軒茶屋での分かれ道。左が首都高速3号線と国道246号線(かつての「二子道」、いまは「玉川通り」とも呼ばれている)、右がかつて「大蔵道」と呼ばれた「世田谷通り」である。

 三軒茶屋の駅前、246号線と世田谷通りの分岐点に大山道の道標がある。大山街道はもともと三軒茶屋から北上し、代官屋敷前を通って用賀に抜けていたが、文化・文政期に新たに桜新町経由の新道が開かれた。
 この碑は寛延2年(1749)に建立、文化9年(1812)に再建されたという。不動尊を上にいただき、右側面に「右冨士、登戸、世田谷道」と、左側面には「左相州道大山道」と読める。
 かつて玉川電車もここで分岐、左路線は二子玉川へ、右路線は下高井戸まで行っていたが、今は三軒茶屋〜下高井戸間が世田谷線として残されている。


 環七と交わる若林交差点の近くの駒留八幡神社に立ち寄る。創建は鎌倉時代の末までさかのぼる。
 この境内に戦没者慰霊殿があり、この神社に関わる住民の戦没者300人以上の名前が書かれていて、先の戦争の被害の大きさにあらためて感じ入る。

 世田谷駅に近づくにつれて人通りが多くなる。今日は世田谷ボロ市の開催日。しかも休日とあって大変な賑わいである。この日にあわせて歩こうと、この区間をとっておいた次第である。
 それにしても大変な人ごみである。1キロ足らずの区間を通り抜けるのに1時間以上費やしてしまう。店をゆっくりのぞくことも写真を撮ることもままならないような状態である。
 世田谷のボロ市は、天正6年(1578)に小田原北条氏から楽市(六斎市)として許可されたことから始まったという。代官屋敷の大山道の歳の市は正月を迎える前の当地の年中行事となっていった。明治に入りますます盛んになり、誰言うとなく「ボロ市」と呼ばれるようになったという。




 旧大山街道は世田谷から弦巻を通り、用賀へと向かう。道幅も狭く、下町の閑静な住宅街という幹事である。

 途中の小さな公園で、大山道旅人の像に出合う。往時の商人の姿を再現したものだそうだ。昭和60年に建てられたもの。
 ここを横切る道は平成8年東京都が定めた「歴史と文化の散歩道」世田谷コースに指定されている。

 
 さらに進むと、弦巻4丁目交差点の角に馬頭観音をみつける。コンビニの駐車場の片隅にこざっぱりと鎮座している姿に、いまもこうした像を大切に見守る人がいることを感じ嬉しくなる。
 用賀追分から真福寺を見て用賀駅へ。本日の街道歩きはここまでとする。
# by sm-116 | 2012-01-16 19:55 | 旅行or小さな旅 | Trackback | Comments(0)

正月用の野菜
 K農業クラブ12月の畑

 12月の農作業
   12月 8日(木) 曇  参加者  5人
      15日(木) 晴   同   6人
      20日(火) 晴   同   8人
      28日(水) 晴   同  14人

 12月に入って、作業時間は冬バージョンに移行です。霜解けが落ち着いた時間帯でということで午前中から午後の時間帯に変わりました。畑は北と西が山になっていて北風を防いでくれるし、日当りも申し分ありません。それでも、湖の冬の寒さで霜柱が立ちます。

 おせち料理に使えるようにととっておいたヤツガシラを年末ぎりぎりに収穫しました。他の野菜を含めて参加者で分け合っています。

 菜園にはトイレがないのが、特に女性メンバーの心配の種でした。何とかしようと、資材を買って来て手作りのトイレづくりに、会長を中心に取り組んでいます。上記の作業日とは別に年末の数日間精力的に進めています。まもなく完成しそうです。

<12月の主な農作業>
◎ ダイコン、サトイモ、ヤツガシラ、ハクサイ、ヤーコン等の収穫

◎ 畑まわりの整備
 〜畑は上下二面になっていますが、上り下りするための階段の補修
 〜山すその枯れ枝、伐採した竹の始末
 〜台風で折れて垂れ下がっていた枝落とし(ロープで引っ張って)
◎ トイレ作りなど 
# by sm-116 | 2012-01-13 21:04 | 未分類 | Trackback | Comments(0)

「農耕社会の成立」を読む
副題  シリーズ日本古代史1
著者  石川日出志(明治大学教授)
出版  岩波新書(2010年10月第1刷、2011年8月第6刷)

 この本を一言で評するならば、縄文から弥生への歴史の動きをすっきりと整理してくれているということになるだろう。
 一つの時代(の文化)をとらえる見方として、著者は「前時代からの連続性」「新来文化の刺激」そして「新たな伝統」をあげる。主に埋蔵遺跡を分析しながら、縄文文化と弥生文化の時代を一つの流れとして整理する。
 説得力のある内容であるが、もう少し図や写真をうまく活用してイメージをふくらませてくれると、一般読者に分かりやすくなるのではとその点を惜しむ。
# by sm-116 | 2012-01-13 20:06 | 読書 | Trackback | Comments(0)

初釣り(1月10日)
 金沢八景「荒川屋」からキス釣りに。
 風も波も穏やか、天候もよくそれほど寒さも感じない。
 しかも、情報によれば前日は大半の人が束釣りとか。大いに期待しての出漁だったのだが…。

 喰いしぶりでなかなか釣果が伸びない。結局23尾どまり。船中トップは50数尾、最低は5尾とのこと。大苦戦でした。
 しかし、型は揃っていて最大は22センチ、平均18〜19センチと粒ぞろい。
 帰ってすぐに5尾だけ刺身にしたが、夫婦2人分として十分堪能できた。
 残りは天ぷら用にさばく。
# by sm-116 | 2012-01-11 21:10 | 釣り | Trackback | Comments(0)
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150キロ離れた茨城県旧大洋村での菜園生活を中心にした趣味と暮らし

by sm-116
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