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畑・釣り・読書、暮らしあれこれ

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茨城県旧大洋村に月3〜4回通っての菜園生活に終止符を打ちましたが、いまも退職者仲間での野菜作りを続けています。菜園のこと釣りや歴史散歩を中心に、82歳になり鈍くなってきた感性を呼び起こしながらこのブログを続けるつもりです。

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「小机城址に後北条をみる」(3月10日)

 3月10日、まちだ史考会歴史散歩「小机城址に後北条をみる」に参加。本来は9日の予定だったが、悪天候で1日順延されたもの。
 コースは、横浜市営地下鉄地下鉄センター南駅から茅ヶ崎城址公園、正覚寺、(電車で移動)JR横浜線小机駅から小机城址市民の森、金剛寺、本性寺、雲松院で、歩行距離は5km程だが、城址の中は坂になっており結構歩きでがあった。

茅ヶ崎城址・中郭
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 茅ヶ崎城址は、横浜市都筑区茅ケ崎にあり、センター南駅からは徒歩10分程である。早渕川右岸に位置し丘陵の先端部に築かれた丘城、早渕川からは20〜30mほどの高さ。郭は、4つに分かれていて、最も広いのが中郭である。ここは、建物(倉庫)跡が確認されている。周囲は土塁と空堀が巡らされている。

茅ケ崎城址・東郭
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 四つある郭内で最も高くなっていて、ここが中心の郭だったと考えられている。郭の広さは東西50m、南北20mほど。

茅ケ崎城址・ 東郭から
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 東郭から東方を見る。視線を南方向に移し、東廓に8m程の櫓を設置すれば、約3.5km離れた小机城を望むことができる。
 茅ケ崎城の築城は14世紀末から15世紀後半にまで遡るが、16世紀中頃には小机城の支城として整備され、後北条氏の配下にあったという。

正覚院本堂
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 茅ケ崎城址の近くにある天台宗の寺院。文禄2年(1593)に開基された。三門を入るとそこは別世界。手入れも行き届き静寂感に包まれている。四季折々いろいろな花も見られる。本堂は文化年間(19世紀初頭)に再建され、その後いくたびか改修を重ね今日に至っている。

正覚院・阿弥陀堂
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境内には、鐘楼堂、大鷲神社、学童疎開記念碑などある。阿弥陀堂は本堂のすぐ隣にある。紅梅の花が咲き誇っていた。

小机城址遠景
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 JR横浜線小机駅から小机城址市民の森公園に向かう。その途中から小机城址を遠望する。ここも小高い丘陵の先端部に位置している。
 小机城の名は文明8年(1476)に初めて登場するが、その後は後北条氏の配下となり、伊豆の土豪笠原氏が、続いて北条氏康の子氏秀が城主を務め、後北条氏を支える拠点的な役割を果たしたという。

根古谷
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 「ねこやひろば」と呼ばれるいる口付近にの風景。孟宗竹がきれいに整備されている。そういえばこの辺り一帯は、江戸時代から明治にかけてタケノコの栽培が盛んだった。その名残なのだろうか。

空堀
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 小机城の郭も空堀と土塁で囲まれていた。空堀だったところを歩くが、かなり深く、険しい。幅20m、高さ9mにも及んでいたとのこと。

東郭址
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 小机城は東西二つの郭を中心に構成されている。本丸がどちらの郭に置かれていたかについては議論があるようだが、現在東郭の方がかつての面影を残している。東郭は東西45m、南北70m程の楕円形をしており、一画には物見台も置かれていたようだ。

金剛寺
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 近くにある雲松院の末寺で曹洞宗の寺院。寺のPRにもある通り、「小机城の一角に在した小高い山の中腹に建ち、…春夏秋冬自然の趣きを感じることができる。」閑静な寺院である。

本法寺
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 金剛寺から同じ並びの本法寺へ。日蓮宗の寺院で、天文9年(1541)に没した池上本門寺9世日純が開山という。ここも、静寂な趣きを伝えている。

雲松院
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 曹洞宗の寺院で、小机城の城主であった後北条氏の家老笠原越前守信為が、主君北条早雲と亡父信隆の菩提を弔うために建立したという。大永5年(1525)頃の創建と推定されている。墓地には笠原氏一門とその家臣の宝篋印塔、石仏などが祀られている。

 まちだ史考会歴史散歩は今回が第100回目というプレミアムな行事として持たれた。早秋のさわやかな天候のもと、充実した研修を終り、ややくたびれた足を引きずりながら家路に向かう。



by sm-116 | 2018-03-20 20:14 | 旅行or小さな旅 | Trackback | Comments(0)

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